60年代のリアルがずっとあった

 私の家庭はずっと60年代的な意識を引きずっていたと思う。私自身は60年代はほとんど生きていないが、高松塚古墳の壁画発見(1972年)でウキウキしている気分を覚えているし、日比谷野音は40人学級実現を求めるデモと結びついて記憶している。なので、大学生になっても60年代の学生のように熱くならない自分がなんだか後ろめたいような気がしていた。
 ライフヒストリーのインタビューで、反体制を原動力としている父に対して、私はなんて現実路線なのだろうと思ったりもした。放射能の問題に対しても、放射能ホメオシスを信じて、今までになかった人類に進化するなんて、小さい子供を育てている母親にあるまじきことを思ったりしている。でも、60年代に対するわだかまりのようなものは引きずっているので、読んでみたのが、佐藤信著『60年代のリアル』ミネルヴァ書房 (2011/11/30)。
 学生運動の原動力は、皮膚感覚(育児用語でいえばスキンシップですな)を求めていたからという論旨。それから余りに分厚過ぎて飛ばし読みしたのが、小熊英二著『1968−〈上〉若者たちの叛乱とその背景、〈下〉叛乱の終焉とその遺産』新曜社 (2009/07)。その中に田中美津の語った言葉として、女性が男性の中で強く生きていこうとすると、男性以上に強くならなければいけないプレッシャーがあり、永田洋子はどの女性の中にもあるというくだりがあり、女性が会社の中で評価されるために、男性の120%頑張ってようやく100%の評価をもらえるという構図と一緒だなーと思った。私が中学生のころ幼稚園生だったラモンくん、今どこでどうしているのかな。息子がハーフ、海外生活後日本に戻るというところがちょっと綾戸智恵とかぶる。